アニメ産業のたどった道

1917年、
フランスやアメリカでは
短編アニメが流通していました。

 

 

日本でもそのアニメーションを参考に、
試行錯誤の上、
描画、切り抜きアニメなどが
制作されました。

 

 

 

 

無音の白黒ですが、
初めてのアニメとしては高い評価を受け、
日本のアニメ産業が誕生しました。

 

 

 

しかし、
フランスやアメリカの短編アニメと比べると、
製作費が非常に高く、
アメリカではディズニーが誕生し、
日本のアニメ産業が発展する可能性は
低かったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その間、日本のアニメ産業がたどった道のりは、

 

公共機関の為の、
広告宣伝用アニメです。

 

 

 

 

 

日本のアニメ産業は、
関東を中心に発足していたんですが、
公共機関のアニメ制作が盛んな1923年、
関東大震災によって多大な被害を受けて、

 

アニメ産業も一時中断されます。

 

 

 

 

 

 

 

ですが、一度政策したものは、
再度発展も早く、
トーキー技術やカラー技術が生まれ、
続々とアニメ技術の革新が起こります。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のアニメ産業の第二世代からは、
世界中に日本のアニメを
広める為の第一歩でした。

 

 

 

 

有名なアニメ作者や作家が生まれ、
戦争間も、日本のアニメ産業は発展していきます。

 

 

 

 

軍事一色、物資不足になった時代で、
フィルムさえ手に入らない時代でも、
アニメ産業の歴史が止まることはありませんでした。

 

 

 

 

 

1963年に日本の宝とも言えるアニメが誕生しています。

 

それは、

 

【鉄腕アトム】です。

 

 

 

 

鉄腕アトムが誕生してからというもの、
アニメに対して驚異的なファンが現われ、

 

 

 

そこからアニメ番組の、
激しい産業競争が生まれ、
新しいアニメ産業の道のりを
たどっていきます。

 

 

 

 

 

 

日本のアニメ産業は、
長い歴史を持ちながらも、
苦難をたどってきました。

 

 

それを支えたのが、
日本アニメファンであり、
世界的アニメ、ディズニーなどに対しての
競争心から生まれる、
アニメ制作者の技術や創作力です。

 

 

 

 

 

 

震災や戦争から始まり、
オイルショックや、バブル崩壊など、
アニメ産業のたどった道には、
経済的苦難が多々ありました。

 

それを乗り越え、
世界的な規模で発展した
日本のアニメ産業は、
まだまだ後退する恐れはありませんね。

 


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