アニメ産業の海外分業化について

 

日本のアニメーション制作も、
その過程が一部の海外へ移され、
分業化が図られるようになりました。

 

 

 

 

国際分業化とも言われているんですが、
アニメーションが作り始められた時代は、

 

脚本・演出・原画・動画・彩色・背景・撮影まで、
すべて国内のスタジオで、
完結して行われていました。

 

 

 

それは、短編アニメが主流で、
制作時間もしっかり取れ、
少人数での制作が可能だったからです。

 

 

 

長編アニメが作られるようになり、
大量生産の必要性や、長時間の作業を考え、

 

人員の増員や、産業規模の拡大が
行われるようになり、
外注システムも始まりました。

 

 

 

 

日本国内で、外注を行っていたんですが、
人件費や日本国内の動画技術、
彩色技術を考慮しても、

 

海外へ外注することが、
一番コストが低く、
アニメの世界を広げやすかったんです。

 

 

 

 

 

1970年頃は、
中国、韓国、台湾などの、
人件費が比較的に安くて、
地理的にも近い国外へ、
外注していました。

 

 

 

 

その頃から、
アニメ産業の海外分業化が始まります。

 

 

 

 

外国のアニメ産業も、
次々と分業化を図り、
日本よりも早い1950年頃には、
アメリカもアニメ産業の海外分業化を図っています。

 

 

 

 

 

 

アニメ産業のコストは、
この海外分業化を図るだけで、
大きく違ってきます。

 

 

 

 

逆に言えば、
日本の東京ムービー新社というアニメ産業会社も、

 

 

1980年以降には、
ウォルト・ディズニーや、やワーナー・ブラザーズから
アニメの作画などの仕事を請け負っていました。

 

 

 

 

 

 

日本のアニメ産業の、
海外分業化が最も早い例は、

 

1967年の韓国への外注です。

 

 

 

 

 

 

 

当時人気だったのが、
【妖怪人間ベム】や、
【ミラクル少女リミットちゃん】など、

 

 

 

現在のお父さんお母さん世代の方は、
ご存知のアニメではないでしょうか。

 

 

 

1986年には、
『アニメ三銃士』の動画以降の作業を
韓国に外注し、

 

低コストでの制作を可能とさせ、

 

 

後にフィリピンやベトナム、マレーシアにも、
分業化を図っていくこととなります。

 

 

 

 

 

 

 

アニメ産業は、
海外分業化を行っているからこそ、
各地で拡大し、
市場を大きくしていっています。

 

 

 

 

 

日本も早くから分業化を図り、
現在に至るまで上手く取引をしているからこそ、
こんなにもアニメ産業が
盛り上がりを見せているんでしょうね。


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